「んー……」



私は庭に居るりぃを眺めながら唸った。


天気予報によると、今日は今年一番の寒さになるらしい。

額を付けた硝子が氷のように冷たいことから、外の気温の低さが容易に窺える。

こんな日は犬の散歩なんか放っといて、家でぬくぬくと過ごしたいものだ。


しかし昨日はうっかり炬燵で寝入ってしまって、りぃを散歩に連れて行けなかったし、犬にとって散歩はとても大切だ…と思う。

しかもりぃは大型犬である。

猫の額ほどしかない我が家の庭では、満足に運動が出来ないだろう。



ところで、りぃは散歩に行きたいのだろうか。

犬だって、寒いから散歩になんか行きたくない、と思う事があるはずだ。

もしかしたら、今日こそがそんな事を思う日かもしれない。








    ――――テトテト…テトテトテト








 ………………………………。








「はぁーっ」



犬の気持ちなんて、分かる訳が無いか。




りぃはさっきからずっと、小屋と門の間を行ったり来たりしていたのだ。

小屋に居たいのか、門を出たいのか……全く、優柔不断なやつだ。







……まあ、私もだが。
 






























りぃの名前を決めた時も、私はこれでもか!と言うぐらい迷った。

迷って迷って迷った挙句、りぃという名に決まったのだ。

と言ってもそれは私の友人が見兼ねて決めてくれた名なのだが。



この優柔不断な私を一発で納得させた、りぃという名。

私とは正反対の友人、入来の『いり』を逆さまに読んだものだ。



「俺のように、決断力のあるやつになるさっ」

と入来は胸を張って言っていたが、残念ながらりぃは飼い主に似てしまったらしい。







りぃがオスであることが発覚したのは、名前が決まって直ぐのことだった。

入来は名前を変えてはどうかと言っていたが、今更名前を変えるのも何だか嫌だと思う気持ちも出て来て……

そうしてまた私は迷ってしまった。

ずーっと迷っていたのだが、結局そのままだ。



あれだけ名前を決めるのに迷っていた癖に、オスかメスかを確認していなかったなんて、一体私は何をしていたのだろう。

いつの間に、メスだと思い込んでいたのだろうか。


いや、よく考えると、メスだと勘違いしていた訳では無いような気がする。

メスだと勘違いしていたのは、入来なのではないだろうか。

入来がりぃという名を提案したばっかりに、私はメスだと思い込んでしまったのだ。


そもそもりぃという名だが、決断力のある入来の名前を逆さにしたのだから、優柔不断ということになってしまうのではないのだろうか。

そうだ!もともとりぃは、優柔不断になる運命だったのだ!!





 
























結局、りぃを散歩に連れて行くことにした。

りぃは嬉しがって……いると思う。



いつもの散歩道。

寒い日。

狭い道。

りぃと私だけ。


角を曲がって少し広い道に出ると、買い物帰りの親子の姿が見えた。

こちらに向かって来るその親子は、六歳ぐらいの可愛らしい女の子と、化粧もろくにしていないおばさんだった。



気が付くと、女の子が優しい目でりぃを見ていた。

触りたいのだろうか。

母親と私を、交互に見ている。


「大丈夫だよ。噛んだりしないから。触ってごらん」

何だか心が温かくなった気がした私は、心の中でそう言った。






「おかあさん、あの人、スリッパをはいてるよ」










 ―――――――――――――え!?










私は自分の足元に目をやった。











……………………………!!













女の子の言う通りだった。


心の温度が急降下する。

先程心が温かくなったのは、今この瞬間のダメージを大きくする為だったような気がして、酷く凹んだ。


私は、りぃを散歩に連れて行こうかどうか迷っている内に、スリッパを履いて縁側にいたことを忘れてしまっていたのだ。

おまけにパジャマの上からはんてんを着ているという、何とも間抜けな格好をしていた。



母親が私を一瞥し、女の子の手を引いて足早に通り過ぎる。

私は暫くの間、親子が去って行くのを呆然と見つめていた。






さて、一度家に戻ろうか、どうしようか……



迷いながら進んで行く内に、家から離れてしまったので散歩を続けることにした。


どうせこんな寒い日に、そんなに人と会わないだろう……

























甘かった。




寒いからと外出を拒むようなぐうたらな人間は、私を含めて少数のようだ。

近所の子供たち、おばさん、おじいさん、きれいなお姉さん……

多くの人と擦れ違った。


多くの人が私のことを白い目で見た。

そう、白い目………




『白目で見る訳でもないのに、何故白い目と言うのか』


そんな疑問が脳内を一杯にし、暫しの間自分の格好のことを忘れた。


しかし白い目の真相については早々に諦め始め、また直ぐに自分の間抜けな格好のことで頭の中は埋まっていった。




多くの人と擦れ違ったが、指摘する人など誰もいなかった。


スリッパのことぐらい、誰が見たって間違っているのだと普通気付くだろう。

もしかして、私が故意に履いていると思われていたのだろうか。

まあ、この格好じゃあ仕方ないか。
 














もう直ぐいつもの公園。

やはり人は居るのだろうか。


私は人々がぐうたらであることを願った。











緊張の一瞬。





心拍数が速くなる。





心無しか、りぃも緊張しているようだ












………なわけないか。







ついに公園へ入る。






























―――居た。





しかも大勢。




あっという間に私は話のネタだ。

あちこちで小さな笑い声、大きな笑い声。






取り敢えず、ベンチに座った。

隣のベンチには女子高生が座っている。

どうやらこちらを見ているようだ。









物凄く見ているようだ。 





                                            


女子高生が私に近付く。



ついにスリッパのことを指摘される!


私はどう反応するべきか考えた。

まるで今気付いたかのように驚こうか……それとも分かっていると冷静に言おうか……






























「おじさん、鼻毛出てる」



















「えっ?…………えぇ――っ!?」





「ほら」


女子高生は、私に鏡を手渡した。







――――――――――――出ていた。






今までに見た事のないぐらい出ていた。






予想外の展開に動揺した私は、



「最近、水が汚れているねぇ」



と訳の分からないことを発言し、家へ走って帰った。




 

走りながら、汚れているのは水ではなく空気だということに気が付き、何であんなことを言ってしまったのだろうと後悔した。

自慢じゃないが、こう見えてもそこそこ有名な大学の生徒なのだ。


そしてまた女子高生におじさんと言われたことを思い出しちょっとムッとしたが、

パジャマの上にはんてん、そしてスリッパを履いており、おまけに鼻毛が出ていては、仕方がない。

挙句の果てに、鼻毛が出ているのは水が汚れている所為だと、訳の分からないことを言ってしまった。





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